前橋のブログ

前橋の魅力や歴史についてのブログ

前橋ってどんな街?

1.美しい水のまち 前橋市の歴史 

 「利根は坂東一の川」群馬県にゆかりのある人なら、一度は聞いたことのあるフレーズでしょう。言わずと知れた、上毛かるたのなかの一節です。群馬県、ひいては前橋市を語る上で、この「利根川」を外すことはできません。利根川といえば、流域面積の広さ日本一を誇る、日本の川の代名詞。「坂東太郎」などと親しみを込めた名前で呼ばれていたりもしますね。「暴れ川」としても知られ、その豪快な流れで人々を翻弄し、また大きな恵みをもたらしてくれる存在でもあります。

 

 

 前橋市は、雄大な流れを持つ利根川のうちでも比較的上流に位置しています。群馬県の県庁所在地でもある前橋市は、全国で唯一利根川の流れをかかえる県庁所在地でもあるんです。日本一の流域面積を誇る利根川でも、県庁所在地でその流れを楽しめるのは前橋市だけというわけ。群馬県といえば、海のない内陸県。でも、利根川の存在があるがゆえに他県のどこにも引けを取らない、豊かな水資源を誇っています。そんな利根川共存するために市内には橋が多く、全国の「橋マニア」から熱い支持をうけていたりもするんです。マニアでなくても、橋から眺める利根川の雄大な流れは心を癒してくれそう。

 

 

 いまでこそ、観光スポットとしても、そして貴重な資源としても前橋市民と共存している利根川ですが、かつては「暴れ川」の名前そのものに大きな災害を引き起こすこともしばしばでした。前橋市といえば、かつては「まやはし」と呼ばれた地域。厩橋とあらわすこの地名は、車川と呼ばれていた現在の利根川にかけられた橋の名「うまやの橋」から転じたものなのだそうです。地名も利根川にちなんだものと、前橋市の歴史と利根川は切っても切れない関係にあるんですね。

 暴れ川として知られた利根川、その時代によって流域も異なっていました。現在の利根川は、河川整備をととのえて私たちとの共存を可能にした姿。しかし、科学技術もまだ未発達であった頃の利根川は、その思いのままに流れを変える存在でした。しばしば大きな河川の氾濫を引き起こし、かつての前橋に生きた人々を悩ませたこともありました。一方で利根川のもたらした恵みは計り知れないもの。ですから、前橋市の歴史は、利根川の流域変動の歴史とも言えるかもしれませんね。

 

 

 そんな前橋市にはかつて「厩橋城」と呼ばれた城が存在していました。いまでこそその姿を見ることはできませんが、関東七名城のひとつに数えられるほどの名城でもあったのだとか。「うまやばし」「まやばし」「まやはし」など、その呼び方は数パターン存在するものの、確かな資料は残っていません。そんな「厩橋」が現在の「前橋」へと変化したのは、西暦1648年から1652年ころ、酒井忠清が城主をつとめていたころだと伝えられています。呼び方の変化とともに、漢字の表記も「前橋」へと置き換わったのだとか。とはいえ、前橋・厩橋の表記は並行して使われており、明治時代の遺構にも「厩橋」の文字を確認することができます。前橋市の歴史建造物を巡ると、その流れを感じ取ることができるかもしれませんね。

 

 

 前橋市は、優秀な考古学的資料が残る地域としても知られています。水資源の豊富さから、前橋市周辺の地域にはかつて700あまりもの古墳が存在していました。東国で最古といわれる「天神山古墳」にはじまり、終末期古墳の典型とされる「宝塔山古墳」に至るまでその時期や形はさまざまに違います。古墳だけでなく、墳丘や石室も多数存在しており、比較的保存状態のよい副葬品が出土することでも知られているのだそうです。これは、豊かな水資源と、古墳文化の興隆によるもの。当時の前橋市は国府設置の場でもあり、上野国の政治的な中心地でもありました。現代でも群馬県の県庁所在地である前橋市のルーツはここにあるのです。国分寺や山王廃寺が建設されるなど、仏教文化の中心地としても有名な地でありました。

 前橋市には多数の歴史的建造物が存在しますが、前橋藩主の墓が残る龍海院など、かつての仏教文化の隆盛をうかがわせる建物も多いのです。

 

 

 そんな前橋の地名がはじめて文献の中で語られるのは10世紀、平安中期のころです。平安時代から鎌倉時代にかけては日輪寺の「十一面観世音像」、善勝寺の本尊として知られる鉄仏「鉄造阿弥陀如来像」がつくられた時期でもあります。これは国定重要文化財に登録されているもので、歴史的な価値も大きな作品たち。歴史的な建造物や、文化財がつくられただけあって、このころの前橋市はすでに「駅家の郷」や「群馬の駅」などと呼ばれていたのだそうです。

 

 

 1470年代に入ると、のちの前橋城である「厩橋城」が築城されます。これは戦国時代には上杉氏、武田氏北条氏などの攻防の的となりました。前橋の中心地であった「天川原」「六供」の町が戦火により焼き払われたため、永禄10年の戦い以後は前橋の中心を低地に移したのだそうです。このとき移された町が、現在も変わらない前橋市の中心街になっています。

 

 

 徳川時代には川越から移ってきた酒井氏がこののち9代、実に150年もの間城主をつとめることになりました。その後、城主は酒井氏から松平氏に変わりましたが、松平氏は「暴れ川」利根川の洪水によって就任からわずか20年足らずで川越へと移城することになりました。この洪水によって前橋城はこののち99年間の長きにわたって廃城となり、前橋市はその活気を失うことになります。しかし、慶応3年、前橋市の衰退を憂いたかつての前橋市民が城の再築および町の復興を目的としてふたたび松平氏を前橋に迎えます。前橋城の再建は滞りなく行われたものの、大政奉還によって江戸幕府が終焉を迎え、前橋城はふたたび栄えることはなく明治維新に突入することになりました。

 

 明治維新ののちは、前橋のかねてよりの主産業として知られた「製糸業」がさらに隆盛を迎えます。安政6年の横浜開港、そして藩主であった松平氏がこれを奨励したこともあり、前橋は明治以後「糸のまち」としてさらにその名を広めることになりました。

 

 廃藩置県により前橋は前橋県となり、その県庁は前橋城の本丸御殿に置かれました。この後、府県統合によって群馬県が成立したのちも、老朽化が進み取り壊されるまでの間の数十年間、前橋城は群馬県県庁として使われることになります。

 

 かつては上野国の政治的中心地として知られた前橋は、関東で4番目に市制を施行するなど明治維新以後も関東圏内有数の文化、そして政治の中心地でありました。

 

 

 太平洋戦争に入ってからの前橋市は、飛行場のまちとしても知られるようになりました。前橋の飛行場といえば、「前橋飛行場」を思い出す人がいるかもしれません。実は、これは前橋の名を冠しながらも群馬県高崎市に存在していたもの。大日本帝国陸軍の軍用飛行場であった前橋飛行場は、前橋市と隣り合う地域の飛行場であったために周辺の住民からは、その地名をとり「堤ヶ岡飛行場」と呼ばれていたということです。

 

戦後、西毛広域幹線道路建設にともなう大規模な発掘調査により、かつて前橋飛行場が存在した地域から縄文時代の歴史的遺跡から、飛行場の施設まで幅広い遺跡が発見されたこともあるんです。

 

 この前橋飛行場の建設には、群馬県内の現太田市に存在した中島飛行機の影響があります。すぐれた飛行機の製造を行っていた中島飛行機を活用すべく、太田市にほど近い地域であり、かつ訓練から候補生の教育までをまかなえる、広大な軍用飛行場の建設が必要になったためです。

 

 戦時中における前橋は、大規模な被害を受けることこそ少なかったものの、太平洋戦争終結の直前には戦災をうけることになります。これは当時の前橋市の中心、市街地の実に8割を焼失するという甚大な被害になりました。前橋市はこれを機に戦災復興事業を施行し、市の復輿を図ります。

 

 戦後前橋市は「消費都市から生産都市へ」といった生活スタイルの転換をかかげ、首都圏都市開発区域の指定を受け、また大規模な工場誘致を実施することで大きな成果をあげることになりました。また、合併を行い平成13年には特例市の指定をうけるなど、県内初の「中核市」への移行を完了させます。平成24年には市制から実に120周年を迎え、文化・政治・教育のすべてを網羅する群馬県の中心地として、さらなる飛躍を続けているのです。

 

 

 

 2.「グンマー」と侮るなかれ 住みやすさの秘密ここにあり

 

 昨今、インターネットやバラエティ番組等で「田舎」と笑われることすらある群馬県。「グンマー」なんて愛称で呼ばれていることもあります。知名度が上がって嬉しい反面、面白おかしく注目されることになって心配に思っている人もいるかもしれません。

 インターネットでは、「群馬県に転勤になってしまい、新生活が不安だ」なんて声を目にすることも。そう、昨今のメディアで注目されている群馬県とは「田舎」のプロトタイプとしての存在。それだけに、「群馬県=田舎」というイメージが先行してしまっているのも事実です。しかし、群馬県は関東でも有数の住みやすい県。特に、県庁所在地でもある前橋市は子育てにも仕事にも、とっても便利な街なのです。

 

 

◇車でもっと便利! な群馬県

 

 そんな群馬県で暮らそうと考えたとき、たったひとつ、欠かすことのできないものが「車」です。2015年の統計によると、全国の自動車保有台数は6,052万台で、人口100人あたり47.62台となっています。全国の平均を取れば、50パーセントに満たない程度の数字ですね。その中で、最も自動車保有台数が多いのは我が群馬県! 人口100人あたりなんと68.39台もの自動車があるのだそう。これは、10人いれば、約7人が車を持っている計算です。一方で、自動車保有台数が最も少ないのは東京都であり、100人あたり23.46台と1位群馬県の1/3の普及率なんだそうです。これなら東京都では電車移動、群馬県では車移動がメインになるわけですね。同じ関東地方でも、こうも差が出るとなんだか面白いものです。

 また、群馬県の端っこ太田市には「富士重工業」があり、スバル自動車の製造も盛んです。このほかにも、自動車のレースを扱った人気漫画の舞台が群馬県赤城山榛名山であるため、自動車レース好きの聖地的存在にもなっているんです。

 車社会と聞くと、心配になるのが運転のマナー。人口の約半分が車を持っているとなると、ちょっぴり不安になる人もいるかもしれませんね。しかし、せっかちだと称されることも多い群馬県民、意外にも運転マナーはいい方なのだそうです。車社会だからこそ、運転技術も上がり適度な距離感を持てる人が多いのだとか。車間距離を詰めすぎる人は少なく、譲り合いの精神があるようです。若葉マークの初心者から、もみじマークの高齢運転者まで幅広いドライバーたちが存在する群馬県。運転を卒業したお年寄りには介護タクシーなどのサービスも充実しているので、買い物難民と呼ばれる人たちも減っています。

 また、前橋市など市街地になれば電車移動も十分可能。学生など、車を持たずに暮らしている人たちもパワフルに活動しているので、運転が苦手、免許の取得をしていない人でも安心。もちろん、車があれば便利な土地でもありますが、「車がなければ生きていけない」かつての群馬県のイメージからは少しずつ変化してきています。

 

◇天災と群馬県

 

 群馬県といえば、「安心できる土地」としても知られています。群馬県は昔から、暴れ川とも呼ばれた利根川の氾濫以外には、大きな天災などの災害は比較的少ない地域と言われているんです。

 かつて利根川は暴れ川と呼ばれ、大きな恵みと天災の両方をもたらす存在でありました。1947年9月には、房総半島南部を通過したカスリーン台風によって甚大な被害を齎されたことも。カスリーン台風は関東において大規模な洪水土砂災害を引き起こし、実に死者数1,100名、家屋の浸水30万3千160戸、家屋の倒半壊3万1千381戸とかなりの被害になりました。前橋市、そして群馬県全域においても、堤防の決壊などが起きました。

 しかし、こういった大規模災害の経験から、現代では洪水ハザードマップなどを整備、利根川は安心して私たちに恵みをもたらす存在となりました。もちろん、現代でも台風などには十分な警戒が必要ですが、安心して暮らすことのできるレベルになっているのです。

 また、特筆すべきは「地震の少なさ」です。研究によれば、過去1000年間、群馬県内で地震によって死んだ人の数は1931年の西埼玉地震による5人だけとのこと。「地震が少ない=災害が少ないまち」ということになりますね。日本全国で見ると、群馬県より地震が少ない県もあるのですが、関東圏内では体感できる地震が非常に少ない地域であることは間違いない事実です。

 ふだんはデメリットのひとつに数えられる「海がない」こと、つまり内陸県であることも地震災害が少なくなる要因のひとつです。利根川が暴れ川であったために、河川の整備に潤沢な費用と時間をかけている群馬県。これにより、海・川の両方の面から津波の被害をおさえることができるのです。

 では、なぜ群馬県地震が少ないのでしょうか。火山によってできた島である日本。地震は、おもに「プレート境界」で発生します。日本列島がのっているプレートの下に太平洋プレートが東から沈み込んでいる「日本海溝」と呼ばれる大きな溝は、日本最大の震源地となりうるポイントです。内陸県であるの群馬県は、この日本海溝から遠く存在するため、地震の揺れをめったに感じることがないと言えます。広い関東平野には太平洋プレートだけでなくフィリピン海プレートも沈み込んでいるため複雑な地下構造となっていますが、ここからも群馬県は離れています。群馬県内にもプレート断層が発見されましたが、これも利根川のもたらした数々の土石流によって固められた地表が、その揺れを抑えていると言われているのだそう。

 また、群馬県では地震対策も進んでいます。阪神神戸大震災の際に見直された地震対策事業が、東日本大震災によってさらに進められたため、地震災害の際の対応もしっかりと行われています。県内の医療機関でも、年に一度は大規模な訓練を行い、有事の際にすぐ対応できるようになっているのです。

  

◇からっ風のまち、前橋

 

 「上州からっ風」の名前の通り、群馬県は典型的な内陸性の気候。そのため、夏は非常に暑く、冬の寒さは厳しいものです。しかし、同じように内陸性の気候の特徴として、「日較差が大きい」という点があります。これは、日中と夜間帯の気温差が大きいということ。つまり、真夏でも夜には気温がかなり下がるため、体感的には涼しく感じることもあるのです。また、群馬県は夏場であってもさほど湿気が高くないので、気温の割に暑さは感じません。そのため、からりとした天気が多い群馬県では、気温よりも体感温度は低め。真夏でもそれほど暑いと感じることは少ないかもしれません。

 一方で、冬は「上州のからっ風」の存在が色濃い季節。冬の体感温度はかなり低いと言えます。冬の日較差も夏と同じように大きいため、夜はとても冷え込みます。そのため、日中早く起きて太陽の出ている暖かいうちに働き遊び、夜には家に帰る……といった健康的な生活スタイルを取る人が多いのも特長です。また、自家用車で移動することが多い群馬県民は、移動中は車に乗ることが多くなるため、寒さを感じる機会が少ないのです。ドアtoドアの生活スタイルのため比較的厳しい寒さに耐えることは少ないと言えるでしょう。

 春や秋もからりと乾いた風が吹く群馬県。暑さ、寒さと四季の変化も大きいため、季節感を楽しみたい人たちにはとても住みやすい地域だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

3.子育てから介護まで、安心できる前橋の医療機関

 

◇安心して暮らせるまち 県内屈指の医療機関がずらり

 

 

 前橋が群馬県内でも住み良い街として知られている理由のひとつが、恵まれた医療環境の存在です。都会に負けない医療の充実で、福祉から救急医療まで、県内で安心して治療を受けられる環境が揃っているのです。

 その一例が、医師数の多さ。前橋の「人口10万人あたり医師数」は、全国平均を大きく上回っています。これは、前橋市の市民200人当たりに1人の医師が存在しているということ。前橋市は全国でも屈指の医師数を誇るいわば「医療大国」なのです。また、病院までの距離は平均で400メートルと、医療機関の数も安心の理由に。これは実に全国1位の数値であり、前橋市が医療に恵まれた地域であることがわかりますね。

 また、平成21年度には群馬大学医学部附属病院に最先端のがん治療施設「重粒子線治療施設」の導入がなされ、先端医療が受けられるまちとしても知られるようになりました。最先端医療を受けることのできる、高度医療も充実しています。かかりつけ医から総合病院、先端医療まで幅広い分野の医療がしっかり整備されているのです。

 また、前橋市では健康検査や各種がん検診、成人歯科検診が無料。予防医療もしっかりとサポートしているんです。救急車が到着するまでの平均時間も非常に早く、万が一のときも安心して医療機関を受診することができます。

 

◇総合病院が充実したまち

 

 同じように群馬県の中心地である高崎市に比べ、前橋市は医療機関が充実したまちだと言われています。前橋市には群馬大学附属病院、日本赤十字病院、群馬中央総合病院、そして総合病院に準ずる済生会前橋病院が存在し、総合病院の数は県内屈指です。群馬県全域から診療に訪れる人も少なくないため、人気があり安心して診療・治療を受けることのできる環境が揃っているとも言えますね。

 また、県立病院では心臓血管センターがあり、心臓病などの専門分野にも対応。群馬県立心臓血管センターは県立教員保養所として開設されて以来、県立前橋病院、県立循環器病センター、県立心臓血管センターと改称し、長らく前橋市の循環器・心臓血管医療の中枢を担っているのです。前橋市内においてさまざまな心疾患に対応できる環境は、高齢化の進む県内でも安心のよりどころになっています。不整脈心不全、大動脈疾患、心臓リハビリテーションなど循環器領域全般において高度専門医療を提供しているほか、植込型補助人工心臓などの高度な技能が必要とされる手術にも対応ができます。また、平成26年12月には群馬県内ではじめて経カテーテル的大動脈弁置換術「TAVR」を成功させるなど、循環器内科と心臓血管外科が協働して行う治療にも積極的に取り組んでいます。

 

◇「かかりつけ医」で安心を 充実した民間病院

 

 医療、福祉の充実は、安心できる生活に欠かせないものです。前橋市では、総合病院だけでなくかかりつけ医となる民間病院も充実しています。

 総合病院、救急医療が充実しているだけでは、日々の安心を守ることはできません。前橋市の医療機関は市民200人当たりに1人の医師が存在しているいつでも診療を受けられる=「医師数による安心」、そして病院までの距離は平均で400メートルといったどこでも診療を受けられる=「医療機関による安心」の両方を兼ね備えているのです。総合病院が充実している一方、総合病院の過密状態を防止するかかりつけ医の充実で、市民の健康が守られているとも言えますね。

 県内でも屈指の入院施設を持つ総合病院が多く存在する前橋市では、総合病院の病床に常に空きを作っておくという民間病院との地域医療連携を推進しています。これは、総合病院では高度な治療や入院加療が必要な患者さんをケアし、通院でまかなえる診療に関しては積極的に民間病院との連携を図り、それぞれの負担を減らしていこうという考え方のことです。これにより、病院の混雑、医師の負担、患者さんの待ち時間をそれぞれ減らし、恒久的に安心できる医療環境を整えているのです。ありがちな「入院しなければいけないのにベッドがない」「病後、すぐに放り出されてしまって養生できない」と言った悩みをしっかりサポートしてくれています。

 この総合病院と民間病院との連携では、民間病院の果たす役割も大きいものです。民間病院では、患者さんがより早く家庭生活に戻れるよう、治療やリハビリを行うことで症状や身体機能の改善をはかります。また、患者さんが退院した後の介護など、生活支援を充実させることで地域密着型の医療システムを構築しているのです。かかりつけ医による診療・検診から総合病院での高度なケア、そして退院した後の生活までをしっかりとケアしています。

 日々進歩していく医療において、前橋市の医療機関ではその先端を担っています。細分化されて専門性が高くなる医療分野の、高度な健康診断設備、がん治療、慢性患者の治療といった高額な設備投資とスタッフの確保、育成を並行しているのです。

 

◇健康づくりを支えるまち

 

 医療環境に恵まれた前橋市ですが、医療機関に頼らない健康な市民生活もサポートしています。休日や夜間でも安心して医療を受けられる体制を整えている一方で、医療費の総額を抑える活動も行なっているのです。社会問題となっている医療給付費の増加は、税制度の安定運営、そして市民の安心を守る意味で解決しなければならない問題のひとつです。前橋市では、こういった問題にも積極的に取り組み、市民の健康を守っています。

 食品などに起因する健康被害の対策として保健所を中心とする関係機関が緊密な連携をはかり、生活衛生と食品衛生の確保を行なっています。また、インフルエンザウイルスなどによる感染症対策を充実させ、市内の医療機関との連携を通じ健康被害の発生時には専門的かつ迅速に対応しています。

 また、他県同様に高齢化の進む前橋市でも、市民の健康寿命を延ばす活動も盛んです。高齢者の生活の質の向上を目指し、健康相談等の充実、市民の健康づくり活動の支援を行なうことで、生涯をとおした心や身体の健康づくりを支えているのです。医療機関に頼らずに人間らしい生活を続けることができるため、前橋市でも安全に車を運転している高齢者の方々が多いのです。

 

◇子どもの医療に安心を

 

 群馬県では、子どもの医療費負担を抑えることで暮らしやすい生活を推進しています。子育て世帯の負担を軽減するとともに、子どもたちが安心して必要な医療が受けられるよう医療費の一部負担金を、県と市町村で助成する制度が存在します。つまり、子どもは医療費が0円になるということ。これは群馬県における出生率のアップに貢献している制度でもあります。

 群馬県では、少子化対策や子育て環境の充実をはかるため、子どもの医療が無料で受けられるよう、平成21年10月から対象範囲を中学校卒業までに引き上げているのです。

 これは「所得制限なし」「自己負担なし」かつ入院・通院ともに中学校卒業までを対象とするものであり、全国でも初めての取り組みです。県内でも医療機関の充実したまちで知られる前橋市内では、この制度は非常に大きく、市民の安心を守るものとなっています。

 また、さまざまな子どもの医療問題にも対応するサービスが充実。子育て世帯における負担を減らすことで、より安心できる生活を保障、子どもの多いまちを作っています。

 そのひとつが「未熟児養育医療給付」。これは、入院加療を必要とする1歳未満の未熟児に対して、指定医療機関における医療費の自己負担について公費負担する制度です。

 入院中の1歳未満児を対象とし、その対象期間は出生から満1歳の誕生日の前々日又は退院の日までが給付を受けられる期間となり、市内に在住していれば負担の大きくなりやすい未熟児の子育てをしっかりサポートしてくれるのです。診察や投薬に関する支給から、看護費、移送費といった幅広いものであり、病院窓口での保険適用分の医療費の自己負担が無くなるために若い子育て世帯であっても安心して治療を受けさせることができるのです。また、この養育医療給付申請をした子どもをもつ子どもや、出生時に医療的ケアをされた子どもとその保護者を対象に、「プリミークラブ・未熟児親の会」を開催し、子どもだけでなく保護者のケアもしっかりと行なっています。

 

出生率アップを目指す子育てのまち

 

 前橋市では、不妊治療に対するサポートも充実。特定不妊治療のうち体外受精または顕微授精を行っている夫婦を対象に、「不妊に悩む方への特定治療支援事業」を実施し、費用の一部を助成しているんです。

 夫婦の双方または一方が、前橋市に住所を有しており、群馬県内の指定医療機関で特定不妊治療を受け、特定不妊治療以外の治療によっては妊娠の見込みがないか極めて少ないと医師に診断された夫婦であればこの支援の対象に。所得制限は夫婦の前年の所得の合計が730万円未満と、より多くの夫婦がこの支援を受けられるようになっています。

 このように、前橋市は出生から介護まで市民の安心を守る医療制度が充実したまち。若い世帯の流入も多いため、県内では都会的でありつつも安心できるサポートが存在しているのです。

 

 

4.公園、球場、商業施設・遊びのあるまち前橋

 

 前橋市と聞くと、「県庁所在地とはいっても、何もないんじゃない?」なんて思っている人もいるかもしれませんね。確かに、群馬県には赤城山草津温泉、そして水上スキー場があったりとさまざまなレジャーが充実した県でもあります。そのなかではレジャーの色があまり濃くないのが前橋市の特徴かもしれません。しかし、前橋市内にもたくさんの観光地があるんです。

 

◇知られざる映画のまち

 

 実は、前橋市は映画ファンにとって特別な場所。自然豊かで、古い建物や昔ながらの町並みが数多く残っているため、たくさんの映画のロケ地になっているんです。その特色を生かし、前橋市では「前橋フィルムコミッション」をつくり、市をあげて映画やドラマの撮影を支援しているのだとか。映画を通じて、前橋の活性化を進めているのです。フィルム・コミッションは、映像文化の振興をはじめ、観光振興、撮影現場となった地域への付加価値づくり、そして経済効果など、多方面で地域の活性化につなげています。前橋市は映像製作の中枢となる東京から100km圏内、そしてロケ隊が訪れやすい交通網がととのっているという地理的条件があるんです。

 前橋市を観光するなら、お気に入りの映画のロケ地を回ってみるのも楽しいかもしれませんね。さまざまな有名映画のロケ地があるので、1日では回りきれないほどの充実加減です。

 

◇「白夜行」旧前橋市中央公民館

 

白夜行」は原作が東野圭吾氏の小説であり、2006年にドラマ化、2011年に映画化された人気作。主演は高良健吾さんと堀北真希さんと、ファンの多いふたりです。映画版「白夜行」の撮影は8都県で行われ、そのうちのひとつが前橋市の「旧前橋市中央公民館」です。

 現在は使われていない建物なので、電気や水道といった設備はすべてなし。決して設備の整ったロケ地ではないのですが、「白夜行」の他にもドラマ撮影のために竹ノ内豊さん、寺尾聰、伊東司郎さんなどが撮影に訪れている人気のロケ地でもあるんです。古き良き重厚な建物の醸し出す空気が、シリアスなシーンを盛り立てる重要なポイントを担っているのです。

 

◇「悪人」前橋病院

 

 「悪人」は原作が吉田修一氏の長編小説。映画は2010年に公開され、こちらも主演は妻夫木聡さん、深津絵里さんと豪華な面々です。前橋病院はロケ地としては「これといって特徴のない、ふつうの病院」といった趣。

 しかし、映画のロケができる大規模な病院で、かつ病院らしい雰囲気を盛り立てるしっかりとした設備を備えているのは前橋病院だったのだそうです。

 

◇「告白」昭和庁舎

 

 松たか子さんが主演をつとめ、2010年度の日本アカデミー賞を受賞した「告白」。この年の話題をさらった問題作も、前橋市で撮影されたんです。松たか子さん以外には、岡田将生さん、木村佳乃さんといった面々がロケに訪れました。

 この昭和庁舎は昭和3年に建設された歴史ある建物。クラッチタイルが印象的な洋館は、建造当時では関東随一のモダンな建物だったそうですよ。この荘厳な雰囲気が人気を呼び、「告白」の他にもさまざまな映画のロケが行われています。代表的なものだけでもドラマ「銭ゲバ」や映画「パラダイス・キス」など、一度はフイルムのなかで目にしたことがあるかもしれませんね。

 

◇「神様のカルテ群馬大学医学部付属病院

 

 国民的人気アイドルグループも前橋市で映画を撮影しています。主演が櫻井翔さん、そして宮崎あおいさんがその奥さん役をつとめた「神様のカルテ」は夏川草介氏の人気小説です。

 主人公の勤務先「信濃医大」が、この群馬大学医学部付属病院で撮影されました。医療の充実した前橋市で医療のあり方を描いた映画が撮影されたのは、不思議な縁のようなものを感じます。

 

◇「クライマーズハイ」弁天通り

 

 実力派俳優、堤真一さんが主演の「クライマーズ・ハイ」。これは、1985年の日本航空123便墜落事故を題材にした横山秀夫氏の小説が原作となっています。原作の横山氏が上毛新聞社時代に体験した事故をもとにした小説なので、前橋市での撮影も説得力を増すものになりますね。

 また、弁天通り以外にもクライマーズ・ハイでは前橋市内のロケ地があり、前橋市を中心に撮影が行われた映画なのだとか。前橋市内の日赤病院や、弁天通から程近い街中がそのロケ地だったのだそうです。

 弁天通りの中にある喫茶店も撮影に使われ、主演の堤真一さんや監督が気に入ったと何回か食事に行ったのだそうです。

 

◇歴史の香りを感じるまち

 

 映画の撮影が行われる前橋市には、文化的な香りを感じる施設もたくさん存在します。たまには車を降りて、サイクリングで風を感じながら名所旧跡めぐりを楽しむのもオツなものです。

◇臨江閣

 

 臨江閣は近代和風の木造建築で、本館と茶室は県指定、別館は市指定の重要文化財となっています。前橋市でも屈指の文化財であり、歴史の香りを感じる建物のひとつ。

 うち本館は明治17年9月、当時の群馬県令・楫取素彦氏や市内の有志らの協力と募金により群馬県内の迎賓館としてつくられたもの。また茶室は「侘び」の精神でつくられた草庵茶室で、京都の宮大工今井源兵衛によるものです。

 一方、別館は明治43年一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられた書院風建築。大広間は詩人萩原朔太郎氏の結婚式でも使われた歴史ある建築です。2階の大広間には創建当時に無かった舞台が設置されていたのですが、その後「平成の大修理」で撤去して以来、明治43年の創建そのままの姿に戻っています。

 

◇竜海院

 

 竜海院は大珠山是字寺龍海院という曹洞宗の寺で、享禄3年の元旦に、徳川家康の祖父であった清康が「是」の字を左手に握る夢を見て、天下統一がなされるという模外和尚の予言を信じ建立したものです。清康は、模外惟俊に帰依しようとしましたが、松平家菩提寺は当時の愛知県にあったため、酒井雅楽頭正親に寺を任せたのだそう。その後、龍海院は徳川家の命により天正18年川越に、慶長6年前橋に移り、以後雅楽頭系酒井家宗家九代酒井忠恭の時に姫路へ転封となった折も前橋の地に留まりました。そのため、龍海院は開運出世の寺として信仰されています。

 前橋藩主酒井氏歴代の墓は、広さ3,800㎡もの敷地の中に、初代から8代まで、そして手前に姫路に転封した9代から15代までの墓石が並んでいます。

 

◇カップルや家族で楽しめるまち

 

 前橋市の魅力は、映画のロケ地や歴史的建造物といった大人が楽しめる観光施設だけではありません。駅前の商業施設や、子どもが楽しめるレジャー施設もたくさんあるんです。

 

◇るなぱあく

 

 「にっぽんいち なつかしい ゆうえんち」をコンセプトに、懐かしの遊具を揃えた遊園地です。そのことばの通り、レトロな園内の空気は他では味わえないもの。るなぱあくの前身は「前橋市中央児童遊園」であり、1954年に開園したものです。現在では日本一懐かしく、そして日本一安いとも言われているのだとか。

 それもそのはず、豆汽車、豆自動車、ひこうとうなど、約8種類の大型遊具は1回50円、そして12種類のコイン式小型遊具は10円で楽しめるとあってファンの多い遊園地なのです。

 さらに、るなぱあくには国の登録有形文化財に指定されている日本最古の電動式木馬も現存。もちろん、いまでも現役でコインを入れれば木馬に揺られてタイムスリップした気分になれそうです。入場は無料で、園内を散歩するだけでも楽しめる遊園地です。

 

◇ぐんまフラワーパーク

 

 ぐんまフラワーパークは、群馬県民のデートスポット・レジャースポットとしても有名な植物園。群馬県立の植物園であり、赤城山の裾野という立地を最大限に生かした華やかな植物たちに心癒されること間違いありません。 総面積18.4haの敷地に、約6000m²もの大花壇、高さ18mのパークタワーが設置され、ほか、温室エリア、庭園エリア、ガーデンエリア、キッズエリアと一回りするだけでもかなりのもの。

 5棟の温室で、年間を通じてさまざまな花を楽しむことができます。年に7回花まつりが開かれ、大人から子どもまで県内外の人々で賑わいます。また、花と緑の学習館では押し花をつかったストラップ作りやアロマせっけん作りといったクラフト体験もできるので、一日中楽しめます。

 春は大花壇で20万球のチューリップが咲き乱れ、花の少ない冬には、数万個のイルミネーションで華やかに彩られる園内。冬のイルミネーション期間中は、タワーにプロジェクションマッピングが行われているなど新しい試みも多く見られます。カップルで訪れる人も多い、人気のテーマパーク的存在になっています。

 園内中央のパークタワーは、18mの展望台から北は赤城山、南は関東一円の景色を楽しめます。

 夏から秋にかけて見頃を迎えるダリア園では、実に290品種1350株ものダリアが栽培されています。同じく夏〜秋に開催されるダリアまつり期間中には「まるごと美味しいダリアまつり」と称して、ダリアを目でも舌でも味わうことができます。

 子どもが楽しめるキッズエリアにはふわふわドームやローラーコースター、緑の迷路、遊具広場などがあり、アクティブに楽しむことも。夏の間にはじゃぶじゃぶ池で水遊びもできるので、親子連れで賑わいます。

 

◇七夕まつりで暑い群馬の夜を楽しもう

 

 北関東最大級の呼び声高い七夕まつりは、前橋の夏の風物詩。暑さの厳しい前橋では、七夕まつりは古くから「夏越し」の年中行事として行われていました。本格的はまつりとして開かれるようになったのは昭和26年からで、北関東では最大級の七夕まつりとして県内外からたくさんの人で賑わいます。アーケードの飾りや竹飾りなど、コンテストも行われるほどの華やかな七夕飾りのほか、物産市など様々なイベントが行われ、夜遅くまで楽しめます。

 華やかな前橋の夜を彩る「ゆかた」をテーマとしている七夕まつりでは、ゆかたにまつわるイベントを開催。ゆかたを着て商店街でお買い物をするとお得なサービスを受けられる「ゆかたお得マップ」の配布や、子どもから大人まで交えたゆかたコンテストなど、ゆかたで楽しめるお祭りです。

 

 

5.群馬随一の学校教育機関たち・教育のまち前橋

 

 

 群馬県は古くは「西の岡山、東の群馬」と呼ばれるほどの教育先進地でした。前橋市には公立・私立問わず数多くの学校が存在します。県内屈指の進学校も存在し、教育水準は群馬県内でもトップクラス。学校施設だけでなく、学習塾や学習センターも充実しているため、子どもたちが自主的に自らの学びを深めています。

 前橋市、そして群馬県の特徴として挙げられるのが男子高・女子高のある数少ない地域だということ。公立高校が男女別制度をとる地域というのは少なくなっているため、わざわざ近隣県から群馬県の高校を選び進学するという学生も存在するほどです。特に、前橋市は交通の便も良くアクセスしやすい立地の学校が多いため、県内でも特に人気の高等学校が多くあります。予備校や塾といった施設も充実している一方、駅前の商業施設等学生たちが遊べる場所も充実しているので、前橋市内で勉強から部活、遊びがまかなえるのが人気の理由なのだそう。そのため、前橋駅前はいつも学生たちでにぎわっています。

 学生の行動範囲がある程度確立されているがゆえ、男子高、女子高と別の高校に通っていても学生同士の交流は生まれやすい環境にあるため、男女別であるがゆえの窮屈さを感じる学生も年々減っているといいます。学校では男女別でのびのびと学び、そして遊びやスポーツといったプライベートの場面では男女ともに交流を深めることができる、「ほどよい」男女別制度が確立されているのかもしれません。

 

 また、前橋市の公立校の学習水準は群馬県内、そして群馬県全体で見ても同じ関東圏内のなかでも高水準。小学生、中学生から公立校で学んでいても、県内外の有名大学に進学しやすい学習のレベルを保つことができるのです。群馬県出身で有名大学に進学する人の多くが、公立小学校や公立中学校、そして公立高校で学んだ学生たち。子どもたちの学習姿勢をサポートする体制ができているので、わざわざ遠くの学校を選ばなくとも安心して勉強や部活に集中した生活を送ることができるのです。家の近くの学校で学ぶことで、部活動や趣味と勉強との両立をしやすい環境ができているとも言えます。そのため、前橋市で教育を受けた子どもたちは、部活動や学校外活動を評価される「一芸入試」などの対策もしやすいのが特徴です。

 これは、群馬県前橋市がしっかりと教職員の質の向上に努めているから。定期的な教職員向けの指導会や、資料館といった施設の充実も県内随一です。なかでも、教職員自体が前橋市の魅力を知っているというのは大きな利点です。前橋市の学校には、群馬大学高崎経済大学といった県内外とわず有名な大学出身者の教師も多く、前橋の「地の利」「人の利」を理解している教職員たちが指導に当たることも多いため、教育レベルも高くなっているようです。

 

 そう、群馬県内の学校を卒業し、群馬県内で就職する子どもが多いのもひとつの特徴なのです。子どもが公立学校で安心して学ぶことのできる地域というのは、実はなかなか多くありません。地方の繁華街であれば教育水準が高い地域も散見しますが、関東圏内ではそれも少ないもの。そのため、教育費用が少ない公立学校での教育が充実されている前橋市では、両親が安心して子どもに質の高い教育を受けさせることができるのです。また、都内へのアクセスも比較的良好な前橋市では、共働きの家庭や若い世代の家庭であっても生活しやすいため、子どもの教育の充実を背景に、県内から前橋市に引っ越してくる人も少なくありません。教育に大きなお金をかけることが難しい家庭であっても、子どもが公立学校で学ぶことで塾や予備校といった「サポート」の部分に予算を回すことができる、また進学に関わる費用を貯蓄することができる、といったメリットがあるのです。

 

 前橋市内に教育施設やショッピングセンターといった生活に必要とされる施設が密集しているため、おのずと塾や予備校といった学生の教育をサポートする施設も市内に充実しています。長い時間電車に揺られたり、バスを使ったりといった移動時間のロスが少ないため、学生の限られた時間を有効に活用できる環境が整っているとも言えますね。塾や予備校の教育水準も学校の教育水準に合わせているのでこのレベルも非常に高い傾向にあり、有名高校、有名大学への進学実績を多く持つ予備校も多くみられます。

 特筆するべきはアルバイト講師の質の高さです。アルバイト講師であっても、前述の群馬大学高崎経済大学といった大学で学んでいる学生が多いため、学習のレベルは高め。学びのノウハウをもった学生アルバイトが講師のサポートをつとめ、またそこで学生アルバイト自身も多くの学びを得て、教職員になったり教育業に就く場合も多いのだそうです。同じような理由で家庭教師の質も高く、共働き家庭の学習サポートも充実しています。最近では、家庭だけでなく前橋市が提供する学習施設やファミリーレストランなど、家の外での家庭教師による学習サポートもの機会も増えているのだそう。県内外で学ぶ優秀な学生が、あらたな世代を教育する理想的なサイクルが確立されているのです。

 こういった教育に関わる人脈が学生アルバイトに与える影響も大きく、たとえば県外から進学してきた学生が、そのまま群馬県に移り住み生活しているケースもあるそう。おのずと周囲とコミュニケーションをとる機会が増えるため、県外の学生であっても疎外感を感じにくかったり、反対に住みやすさを実感する機会となったりするからこそのことです。前橋市の教育水準が高いからこそ、学生や若い世代の暮らしやすさも確保されてきていると言えますね。

 

 また、群馬県出身者が都内の大学に進学する場合、下宿をせず自宅から通う学生が多いのも特徴のひとつです。特に、都内へのアクセスがしやすい地域である上、学生にとって暮らしやすいまちである前橋市はその傾向が顕著に出ている地域です。前橋市から日中は都内の学校に通い、夜や休日には市内の塾や予備校でアルバイトをする……といった生活スタイルを取る学生も多く見られます。住み慣れたまちで暮らし、都内で学び、遊びを楽しむこともできるため、県内にとどまることが多いのだそう。

 そのため、質の高い学生の流出をふせぎ、県内の教育水準を学校・塾・予備校といったさまざまな面から保つことにつながっているのです。

 

 また、県庁所在地であるため国立校の存在も大きなものです。国立校として、群馬大学教育学部附属小学校、中学校があり、県内外から毎年数多くの志願者を集めています。国立校らしいカリキュラムと、質の高い教育は、前橋市内の学校の教育水準をも引き上げているといっても過言ではありません。県内では非常に高い人気を誇るため、附属小学校、中学校への進学をきっかけに転入してくる家庭も珍しくないほどです。

 

 もちろん、公立校だけでなく私立校も大きな人気を持つ学校が多く存在します。公立校の教育レベルが高いため、私立校も比較的レベルの高い学校が増えているのが特徴です。群馬県でもトップクラスの学力と人気を誇るのが、群馬県立中央中等教育学校です。設立からはまだ数年であるため、進学実績こそ少ないものの、教育レベルの高さに志願者は増えており、試験の難易度は毎年上がっています。もちろん、試験の難易度にあわせ児童、生徒のレベルやカリキュラムもどんどん進化しています。設立わずかの学校であるため、子どもたち自身が学びの質を上げ、校風やカラーを生み出している最中と言えますね。学習レベルの向上だけでなく、結果も徐々に現れています。進学実績も年々良くなっているので、人気はまだまだ上がると言われている注目の学校だと言えるでしょう。

 自由に学び、切磋琢磨する子どもたちの姿勢は、群馬県、そして前橋市の教育に対する姿勢を反映したもの。群馬県立中央中等教育学校は、これからの前橋市の教育を率いる学校になっていくことでしょう。

 

 前橋市内には新島学園中学校や樹徳中学校、共愛学園中学校や桐生大学附属中学校といった伝統ある私立校も多く、こちらも根強い人気をもつ学校です。私立であるためエスカレーター式をとりつつも、県内外の有名大学に進学する学生も多く、レベルは非常に高いものです。プロテスタント系、仏教系といった学校によるカラーの差はあるものの、各校とも綿密に練り上げられたカリキュラムにもとづいた学習が進められています。

 前橋市の私立校には、前橋市民だけでなく近隣の市や町、そして県外からも進学してくる子どもが多いのも特徴です。教育に高い関心を持っており質の高い学習をさせたいと思っている一方で、都内の学校に進学させるのは距離や環境といった面で心配があると考える親たちも多く、治安も良く交通の便も良い前橋市内の学校を選ぶケースが多いのだそう。前橋市に安心して学べる環境が整っているからこそ、子どもたちのレベルも上がり、親の安心も得ることができるのです。

 

 

6.きれいな水でおいしい暮らし・農業のまち前橋

 

 

 利根川の美しい水に恵まれた前橋では、農業も盛んです。前橋は耕地面積における水田の割合が64.2%を占めており、利根川の水の利を生かした農業が行われています。米麦をはじめとする土地利用型農業をメインとして、野菜ではキュウリ、トマト、ナス、イチゴといった施設型農業、果樹ではナシ等の生産が盛ん。ブランド化も進められており、「前橋産」の農産物がにわかに人気を博しています。

 また、土地利用型農業では古い体質の農業形態から、現代的な生活様式に合わせた形態への取り組みも進められています。水田農業の経営と地域の営農組織の強化を進めることで、法人化へ向けた取り組みを続けているのです。

 その他にも、花の栽培も多くバラやシクラメンといった花々の人気も高いもの。前橋市内で生産されたシクラメンは、県内外でも人気です。

 また、前橋市は農業だけでなく酪農も盛んな地域。前橋市のキャラクターといえば、全国的にじわじわ人気が広がっている「ころとん」が有名ですね。豚肉料理が有名だということでキャラクターに制定されたころとんの存在でもわかるように、前橋市では大規模な養豚、酪農、養鶏が行われブランド化も進められています。

 

◇ブランド野菜が楽しめるまち

 

 前橋市では、単なる農業だけでなく「野菜のブランド化」が進められています。特に注力しているのが、「G・ブランド」と呼ばれる群馬県が定めたブランドです。これは、作物の味や農薬といったものを数値化し、この数値が県の基準を上回っており、かつ県内産地として高い評価を受けている野菜につけられるブランド。「より新鮮でおいしい前橋の野菜」として、市内外で注目を集めています。また、ブランドの制定により市内の農家のモチベーションを上げ、さらに質の良い農作物をつくる効果も期待されています。

 JA前橋市が2015年までに指定を受けた品目は5品目あり、「きゅうり」「梅」「味にら」「春菊」「ブロッコリー」がこのブランドとして認められています。群馬県が進めている「すき焼き県プロジェクト」にも、野菜は欠かせません。これからますます野菜のブランド化は進められていくため、地産地消も行いやすくなりそうです。

 

◇前橋ブランドいちばん! きゅうり

 

 実は、前橋は隠れたきゅうりの名産地。きゅうりは現JA前橋市になる以前、旧JA木瀬・旧JA荒砥において昭和30年代前半より栽培が始められていた、前橋市にゆかりの深い作物です。昭和40年代には「冬春きゅうり」で国の野菜指定産地の指定を受けた歴史を持っているんです。現在のJA前橋市においては「園芸基幹作物」として、JA取扱高のトップを占めています。平成20年9月には前橋市が「群馬県統一規格きゅうり販売体制」に加入、さらにおいしいきゅうりの生産を続けています。

 G・ブランドとして制定されてから、きゅうりの生産にはさらに力を入れている前橋市。サラダとして生で食べるだけでなく、上州名物のみそでつけたきゅうりの「みそ漬け」や、「たまり漬け」といったお漬物としても愛されています。群馬県ご当地グルメとしても知られる「焼きまんじゅう」にも通じる甘辛くあとを引く味わいに、県内外に多くのファンがいるそうです。

 

◇新しい前橋ブランド! ブロッコリー

 

 前橋市の野菜として知られるものには、「ブロッコリー」もあります。美味しい水と美味しい農作物をつかった人気のレストランや飲食店が多い前橋市。その店舗の多くで使われているのが、前橋産ブロッコリー。茹でたり、炒めたりといった従来の食べ方だけでなくオリーブオイル漬けやしょうゆ漬けなど、新しい味わい方も提唱されています。たっぷりの美味しい水で育てられたブロッコリーは、茎までやわらかく子どもでも美味しく味わうことのできる甘い香りが特徴。前橋市内のレストランでは、ブロッコリーたっぷりのグラタンやまるごとブロッコリー焼きなど、さまざまなメニューで楽しむことができますよ。

 そんなブロッコリーは、前橋市では比較的最近つくられるようになった作物です。かつて桑園であった農地で、「軽量化野菜」の導入品目として、そしてねぎとの輪作体系を組むことのできる作物として、前橋市でも栽培が始まりました。現在では遊休農地の対策と、冬野菜の中心品目としての価値が見出され、新たなブランド野菜としての産地づくりが進められています。

 

◇子どもから大人まで……たっぷり楽しめる前橋の梅

 梅と言えば紀州。和歌山のイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。では、梅の生産量第2位の県はどこでしょう? そう、答えは群馬県。実は、群馬県は知る人ぞ知る梅の名産地なのです。梅林は群馬県内でも有数の観光スポットとして知られているんですよ。

 もちろん、味もお墨付き。全国で2位の生産量を誇るだけあって、美味しい梅を全国に届けているんです。生産自体は安中市高崎市といった地域が多いのですが、前橋市内では梅の加工が行われています。子どもから大人まで、一度は食べたことのある「カリカリ梅」も、前橋市で生産されているんです。それもそのはず、日本で初めてカリカリ梅をつくったのは前橋市の「赤城フーズ」なのです。

 もともと梅の生産地として知られていた群馬県ですが、当時は柔らかな梅干しの生産がメインでした。しかし、群馬県で大規模な梅の不作があった年、原料不足で梅干しをつくることができなくなりました。そのため、困り果てた赤城フーズの社長が県内外から梅を買い取り、再加工することに。その中に、「かたくてとても売り物にならない梅」がありました。倉庫の隅で放置されていた梅は、翌年も変わらずかたいまま。しかし、酸っぱく爽やかな味にカリカリとした軽快な歯ざわりに、ヒットの予感を受けた社長が商品化を目指すことにしたのだそうです。

 いまではコンビニでも買うことのできる、全国から愛されるカリカリ梅。そのルーツは前橋市にあったんです。

 

◇前橋のお土産にぴったり! 甘〜い梨

 

 前橋市の名産品といえば、現代でいえば「ラスク」や「七福神あられ」でしょうか。全国的にも人気で、手土産といえば……と思い出されることも多いものですね。そんな前橋市ですが、かつては「梨」の名産地として知られていました。江戸時代から、梨といえば前橋だといわれるほど、全国で前橋の梨は愛されていたのです。「幸水」や「豊水」、「二十世紀」といった有名なブランド梨が生産されており、甘く歯触りの良い前橋産の梨は全国に流通しているのです。

 収穫時期にはくだもの狩りなどの観光としても人気を博しており、県内外から訪れる人が多いんだそう。そんな甘くて人気の梨ができるのは、前橋の成り立ちに関係がありました。梨園として利用されているのは、昔利根川が流れていた地域。通常、川が流れていた地域というのは土砂が多く、農業には向きません。しかし、果物は栄養が豊富なふかふかの土よりも、石がゴロゴロしているような痩せた土地の方が甘く立派な実をつける傾向にあるのだそうです。つまり、「暴れ川」であった利根川があったからこそ、美味しい梨が育つということ。自然に恵まれた前橋市だから味わえるブランド梨なのです。

 

 

7.まとめ 魅力あふれる「田舎」前橋市

 

 

 前橋市は、どんなに整備が進んでも「田舎」であることには変わりないまちかもしれません。しかし、現代において魅力的な「田舎」はどれだけ残っているでしょうか? 自然と文化が共存し、豊かな水にはぐくまれたまち、前橋市。アーケード街が残っていたり、田舎道と商業施設が共存するまちです。もちろん、電車に揺られればなんでも揃う都心の生活とは、少し違うこともあります。でも、「おはよう」や「おかえり」の声が飛び交うまちは、他にないでしょう。前橋市には、現代でなくしてしまいがちな余裕や人との関わりを、見直すことのできる環境が揃っています。

 関東でも屈指の医療施設が揃っていたり、教育水準も高かったりと、まさに「ゆりかごから墓場まで」が叶う地域でもあることも忘れてはいけません。住んでみなければ、訪れなければわからない魅力が詰まったまちでもあります。

 誇ることのできる「田舎」、優しい人情の風が吹くまち。そののどかさこそが、前橋市の魅力なのだと思うのです。

 

 

8.前橋の関連情報

  

前橋市役所

前橋まるごとガイド |

前橋市 - Wikipedia

前橋 - BOOK

前橋のお店

けやきウォーク前橋

前橋市の天気

前橋商工会議所

アーツ前橋

JA前橋市